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by daikusu
| 2014-05-14 09:35
| 現場日記KS様邸
前回の続き、「床の間」
床の間には、美術品を印象的に見せるための様々な工夫が施されています。
まずは光。
「書院」と呼ばれる窓から光を取り入れます。
和紙を通した光が、床の間を柔らかく照らします。
一方「床の間」の上部には、小さな壁が設けられ、影を作っています。この影が、
「床の間」の空間に奥行きを持たせています。
影がなく、光が全体にあたると、掛け軸は平面的に見えてしまいます。
また、書院をふさいでしまうと、暗すぎて掛け軸はよく見えません。
床の間という、ほの暗い空間の中で掛け軸に陰影が出来、
描かれた世界が奥深く見えるのです。
飾られるものが最も客に対して印象的にそれを受け止めてもらえるようにするには
適当な明るさというものが必要です。
日本人の光に対する感覚を証明しています。
さらに、「床の間」の隣に設けられた「床脇」があります。
ここも客をもてなす為の大切な空間です。
書院からの光は、「洞口(ほらぐち)」(「狆潜り(ちんくぐり)」ともいう)を通して
「床脇」まで届きます。
「床脇」は客が美術品を手に取って楽しむ場。
例えば、和歌の好きな客を迎える時には、歌集を飾ります。
輿に乗った時、客が筆をとれるように硯箱と紙も用意します。
床脇は、客へのさりげない心遣いを示す場なのです。
ここに招待された人も、やはり亭主の心意気を受け止め、互いに心を通わす為の空間として、様々な工夫がこらされた「床の間」の配置。
「床の間」は日本建築の特性を活かした座敷の中の小さな美術館です。
床の間には、美術品を印象的に見せるための様々な工夫が施されています。
まずは光。
「書院」と呼ばれる窓から光を取り入れます。
和紙を通した光が、床の間を柔らかく照らします。
一方「床の間」の上部には、小さな壁が設けられ、影を作っています。この影が、
「床の間」の空間に奥行きを持たせています。
影がなく、光が全体にあたると、掛け軸は平面的に見えてしまいます。
また、書院をふさいでしまうと、暗すぎて掛け軸はよく見えません。
床の間という、ほの暗い空間の中で掛け軸に陰影が出来、
描かれた世界が奥深く見えるのです。
飾られるものが最も客に対して印象的にそれを受け止めてもらえるようにするには
適当な明るさというものが必要です。
日本人の光に対する感覚を証明しています。
さらに、「床の間」の隣に設けられた「床脇」があります。
ここも客をもてなす為の大切な空間です。
書院からの光は、「洞口(ほらぐち)」(「狆潜り(ちんくぐり)」ともいう)を通して
「床脇」まで届きます。
「床脇」は客が美術品を手に取って楽しむ場。
例えば、和歌の好きな客を迎える時には、歌集を飾ります。
輿に乗った時、客が筆をとれるように硯箱と紙も用意します。
床脇は、客へのさりげない心遣いを示す場なのです。
ここに招待された人も、やはり亭主の心意気を受け止め、互いに心を通わす為の空間として、様々な工夫がこらされた「床の間」の配置。
「床の間」は日本建築の特性を活かした座敷の中の小さな美術館です。
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by daikusu
| 2014-05-13 13:50
| 社長コラム
日本の家の変遷は、昨今劇的に変化して来ています。
昔ながらの日本家屋の伝統美についてお話しします。
第一回は、「床の間」です。
床の間は、客を迎える部屋につくられます。
そもそも「床」とは、物をのせたり、位の高い人が座る、一段高い場所を言います。
床の間は、部屋の中で一番神聖な場所とされるのです。
主人は客をもてなす為に、様々な物を飾ります。
壁には、掛軸。その下には花入れや香炉が置かれます。
硯(すずり)箱や書物などは、隣にある「床脇」という空間に収納したり飾られたりします。
床の間は、こうした美術品を飾る場所として発達してきました。
「床の間」の起源は、室町時代にさかのぼります。
歌会や茶会を催す時、壁に掛け軸をかけ、「押板」と呼ばれる板の上に、
美術品をおいて鑑賞しました。
今日のようになったのは桃山時代から江戸時代初期にかけての事。
その究極が二条城二の丸御殿にあります。
徳川将軍に諸大名が謁見(えっけん)する部屋。
将軍は、豪華に飾られた「床の間」を背に座りました。
「床の間」は教養や財力を示す場であり、またそこでの序列を示す役割もあったのです。
江戸中期になると、武家だけでなく、裕福な商家も「床の間」を設けるようになりました。
「床の間」は、落掛(おとしがけ)、床柱(とこばしら)、床框(とこがまち)という木材で四角く囲まれています。
あたかも大きな額縁のようです。
亭主が客に対するメッセージを印象的に伝えるための仕掛けとしての額縁が必要だったのです。
続きは次回に・・・
昔ながらの日本家屋の伝統美についてお話しします。
第一回は、「床の間」です。
床の間は、客を迎える部屋につくられます。
そもそも「床」とは、物をのせたり、位の高い人が座る、一段高い場所を言います。
床の間は、部屋の中で一番神聖な場所とされるのです。
主人は客をもてなす為に、様々な物を飾ります。
壁には、掛軸。その下には花入れや香炉が置かれます。
硯(すずり)箱や書物などは、隣にある「床脇」という空間に収納したり飾られたりします。
床の間は、こうした美術品を飾る場所として発達してきました。
「床の間」の起源は、室町時代にさかのぼります。
歌会や茶会を催す時、壁に掛け軸をかけ、「押板」と呼ばれる板の上に、
美術品をおいて鑑賞しました。
今日のようになったのは桃山時代から江戸時代初期にかけての事。
その究極が二条城二の丸御殿にあります。
徳川将軍に諸大名が謁見(えっけん)する部屋。
将軍は、豪華に飾られた「床の間」を背に座りました。
「床の間」は教養や財力を示す場であり、またそこでの序列を示す役割もあったのです。
江戸中期になると、武家だけでなく、裕福な商家も「床の間」を設けるようになりました。
「床の間」は、落掛(おとしがけ)、床柱(とこばしら)、床框(とこがまち)という木材で四角く囲まれています。
あたかも大きな額縁のようです。
亭主が客に対するメッセージを印象的に伝えるための仕掛けとしての額縁が必要だったのです。
続きは次回に・・・
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by daikusu
| 2014-04-11 09:00
| 社長コラム